まいにちの思考回路

まいにち、どういうことを考えてきたかの個人的備忘録。

17.09.10/Sun

 

 

**結局は自分の思うことに共鳴してる意見が好き、当たり前だけど

 

**こんなにシビアでネガティヴだけど、でもだからこそこうやって行こうっていう方向性、いいなぁ

 

**結局ぜんぶ嫌いだったらやりたいとか続けたいとか思わないし、やっぱりどこか好きだからなんだろうなって

 

 

17.09.09/Sat

 

 

**やはりフリーランスの人は、フリーランスという生き方に寛容だなあと思った、そりゃそうだろうけど。

 

**やっぱりなんか私は、もっとはっちゃけていい、ガンガン自分のやりたいようにやればいいと思う。人の目とか気にしないで。ちょっと失敗しても堂々とする。そういうのが足りないなぁと思った。足りないというか、何かを気にしすぎて自己開示なかなかできないのがよくない、ガード堅い。

 

 

17.09.08/Fri

 

 

**今日思ったこと。カラオケで歌う時、歌詞を覚えていないので歌詞を見るか、採点をしている時は音程ずれてないかチェックするかしながら歌っている。でも実際聞くべきはバックミュージックの方であってそこと調和しなかったら歌じゃないよなぁと思うので、やっぱり歌詞覚えようとするべきだなーと

 

**ふと思ったけど「もし就活ダメだったら福岡に帰ってきなさい」という言葉は「ダメだったとしても帰ってくる場所はあるからね」くらいの意味で、本当にそうなることを想定していたり望んでいたりした訳では多分…ないんだよね……

 

**相手の気持ちを想像しなさい、と言われたとしてもコミュニケーションにおいて「あの人は多分こう思っているんじゃないか」で決めつけて行動するのは危険だと思うし、実際想像するより直接本人に確かめられるようになるべきなのでは

 

 

17.09.07/Thu

 

 

**お金について、限られた中でどのようにやりくりするか(使うか)ということを考えるのを少しずつできるようになってきてるのかなと思うんだけど、考え方としては時間も同じで、限られた時間をどのように使うかをもっと考えるべきでは?衝動的買いと、夜中に衝動的に何か始めるのって同じ……

 

 

17.09.06/Wed

 

 

**映画とかみて「抑圧された環境とか関係性の欠陥とか、そういう健全に成長できない環境が要因となって同性愛が生じるのでは」と思ったりするんだけど、そう思うこと自体が「同性愛は健全な環境では発生しない愛」「異性愛こそ健全」という考え方を内在しているような気がした

 

**そう思う私の中にあるのか、それとも描かれ方に現れているのか…

 

**自分の中心にあるものってなんだろうね

 

**これが好きという曖昧なものではなく、これに救われたとかこれがなくちゃ私じゃないみたいな、確固たるものがなにか一つでもあるのかな

 

 

 

17.09.05/Tue

**最近いろんな人と自分の進路の話をする機会がある。今日久しぶりに話した学部の知り合いには「来年就活するんなら留年するもんじゃない?普通。学費とか奨学金借りればいいじゃん。家賃気になるなら寮くれば?」みたいなことを言われた。一意見として受け止める。

 

**そういう考え方があるのか、と思うことは私の人生に選択肢の広がりをもたらしてくれる。いろんな働き方、生き方の番組や記事を見るのが楽しいのも、結局そういうことなんじゃないかなと思ったりする。

 

**なんだかんだ、お金を稼ごうと思えば短期バイトをたくさん入れるとか、家賃を安く済ませようと思えばそれ相応の立地で部屋を探すとか、案外不可能ってないと思う。先入観で「これ以上打つ手はない」と思ってるだけで、実は尽くす手は思った以上にあるんじゃないかと。

17.09.04/Mon

**スイッチ達人選柄本佑×山本直樹みてるんだけど「俳優を目指していた」「漫画家を目指していた」から、専門学校通ったり描いたり映画見たり音楽聴いたり、それらひっくるめて全部が就活だったみたいな話しててすごいいい話 あと軽率に山本直樹読んでみたいと思った

 

**すぐ「こうやってまた女性が男性によって苦しめられている」「女性はいつも弱い立場にいる」って捉えるの、それはそれでどうなのかなと思う時がある。もちろんそうなのかもしれないが、それが癖になるのはよろしくない気がする。

 

**癖になる、というかそういう見方でしか見れなくなってしまったらという話。女性が優遇される世界を目指すんじゃなくて、性別に関係なく対等(思いやる、納得できる)な世界を目指すのが理想なんではないのかと……

 

**ただなんかアレだね不倫ならまだしも結婚妊娠で違約金払えとかイメージの損失とかは…ただでさえ少子化で出産に対して前向きなイメージを持たせたい時代なはずなのに、そぐわない気がする。

 

**ただなんかこういう話は「芸能人に対してクリーンな印象を求めるつまり、恋人はいないのが望ましい、いても隠すべき」という要求をしている世間があるからこそ生じるのかなって思うと肩身が狭いですね…… もちろん祝福ケースもあるけど、やっぱり公言しないのが良しみたいな風潮が根強い

 

**カウンセリングは対等にお話する場ではなくて、あくまで相談者から話や気持ちを引き出す場なんだよなあ 分かってるんだけど、こっちとしては相手の意見とかも聞いてみたかったりすると、ちょっと満足できなかったりする もちろん色々話していただくこともあるけど

 

**なんか、話し合いってお互いに個々の考え方を持った上で意見を言い合うって形式の方が「あー、そういう考え方するんだね」って思えて面白い気がする それを自分の思考に取り込むか取り込まないか、賛同できるかできないかは別として。